2011年08月08日

中国の国宝の行方

北京オリンピックの開会式で、中国が
自らの華やかなる古代文明を演出した
ことは記憶にあたらしい。経済大国と
なった中国にとって、次の目標は
文化の力を示すことであろう。

悠久の歴史を持つ中国に「故宮」と
名がつく博物館が北京と台北に2つ
あることは割と知られている。

野嶋剛『ふたつの故宮博物院』は、
戦争と政治動乱によって引き裂かれた
文物の行方を歴史と現状から説明した
本である。




分裂までの歴史は、概説的であるが、
台湾駐在の新聞記者だったため、
台湾におけるここ数年の故宮をめぐる
変化に関する文章は面白く読めた。

独立を志向する民進党が政権の座に
いた時、故宮は「脱中国」化し、台湾の
文物やアジアの文物も展示内容に入れる
試みを行う。
しかし、再び国民党の時代になると、再度
「中国化」していく。

「故宮博物院」は世界を代表する
博物館ではあるが、他の大英博物館などと
の違いは、「故宮」が中華民族だけの
文物で構成されている点である。
そもそも近代の博物館は帝国主義支配の
産物とも言えるもので、世界各地の文物を
保管していることは決して褒められること
ではないが…。

問題は博物館の政治的役割である。
近代の博物館は「遅れた」地域の文化を
紹介する一方で、自らの文明の高さを
国内外の民に見せつけるための政治的
な装置であった。

故宮の場合、中華文明の正統性を
めぐる争いという側面が強い。
歴史を握るということは極めて政治的な
ことであることがわかる。

かつて住んでいた上野には著名な博物館が
沢山あり、大規模な展覧会になると、物凄い
行列ができるのを見てきた。
個人的には、一人で静かに博物館を
見て回りたい。
「立ち止まらないで、見学して下さい!」
などと言われても、ベルトコンベアーではないぞ!

中国の国宝は総じて、「荘厳」という言葉が
ふさわしい。一方、日本の国宝はもう少し
地味なイメージである。中国の国宝の方が、より
政治的な活用に適していたというべきだろうか。






タグ :故宮

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Posted by ドクトルふぁん at 00:35│Comments(0)書評
 
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