2011年07月05日

武術と道徳

こんなタイトルを書いてから、これは
日本の武士道と勘違いされるかもしれない、
と思った。

しかし、書こうと思っているのは中国に
おける武と道徳についてである。

今、図書館から金庸の武侠小説
『侠客行』を借りて読んでいる。



金庸については、中国語圏の若者なら
一度は愛読してきた「国民的作家」である。
(中国語圏は国家ではないので「 」)
日本でいえば、司馬遼太郎的存在か。

「武侠」とは、民を保護することをしない政府に
代わって、義侠心あるヒーローが武術で正義を
実現するというもの。日本の時代劇では、最終的
には「お上=正義」となることが多いが、
弱肉強食の中国では、「お上=悪」である。
正義は江湖にこそ存在するのだ。

そうなると、正義とは?「公」(おおやけ)とは?
というややこしい話になるのでここではカット。

私は個人的に中国の武術に興味があるので、
戦闘シーンで「内功」を使って空を駆ける、といった
シーンにワクワクするのだが、一般的な日本人は
訳の分らん技だと思うかもしれない。

中国では「気」を鍛えることで、歳を取っても
若者に負けないということになっている。
「病いは気から」「英気を養う」などという言葉は
日本語にもあるので、気の思想は中国から
伝わってきたことは間違いない。
しかし、その後、気の思想が日本人の身体観
に強い影響を及ぼすことはなかったようである。

日本には藤沢周平や山本周五郎、そして
池波正太郎など、時代小説が沢山読まれている。
なぜ、金庸の武侠ものがブレークしないのか?

つづく…




Posted by ドクトルふぁん at 23:28│Comments(0)小説
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。